ミシガン州に住んで丸8年。5年前にデトロイト市内に引っ越しました。デトロイトのことや、自分のこと、大好きなマライアのことなどについてのブログです。(photo by nasa)


by dice_michigan
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1999年、23歳 その2

8月中旬、片道航空券を手にアメリカへ入国し、僕の留学生活がスタートした。「アメリカ人に囲まれて、授業についていけるかな?」、「周りは年上のお偉いさんばっかりだったらどうしよう?」、「職務経験がほとんどないのに授業に貢献することができるのかな?」などなど、この期に及んでいろいろな不安はあったが、もう後戻りはできないのだ。

授業が始まる前に、まずはMBAの新入生たちで集まってオリエンテーションが開かれた。説明があったのは、授業の取り方、成績のつき方、メール・インターネットの使い方、図書館の案内などなど、「なーんだ、普通の学校と同じじゃん」と少しほっとした。逆に「年上のお偉いさん」にとっては、久しぶりの学校の授業で、慣れないことも多かったのかもしれない。

このオリエンテーションでは、始めは周りにはだーれも知り合いがいなくてすごく緊張していた僕だが、アイスブレーキングのゲームをしたり、ランチのテーブルで他の留学生と知り合いになったりして、少しずつその緊張もほぐれていった。そしてこのときにすらっとしたアジア人の女の子を見かけて、「あーよかった、こういう人もいるんだー」となんとなく安心してみたり。この時はまさかその女の子が僕の親友になるとは思いもしなかったのだが。

そして初めての授業。またもや緊張でガチガチになりながら、聞き取れなかったときのためにMDレコーダーを携帯してクラスルームに入場。室内を見回すと、オリエンテーションで見かけたアジア人の女の子が目に入った。とっさに駆け寄り、「すみません、僕知り合い誰もいないんですけど、隣に座ってもいいですか?」と話しかけた度胸のある僕。だってねー、一人より二人のほうが気が楽じゃない?そうしてこのときから二人の友情が始まったのだった。(ただし、始めに彼女の名前であるMarissaがなかなか聞き取れずに「Melissa?」などと何度も聞き返す羽目になった。アメリカに来て、人の名前を聞き取るのに慣れるのには結構時間がかかった。)

MarissaはNYのロングアイランドで生まれ育ったフィリピン系アメリカ人。彼女も彼氏を追いかけて今年テキサスにやってきたのだという。しかも彼女の職場は僕の当時の住まいからわずか2ブロック先という近距離。それからちょくちょく一緒にお昼ご飯を食べたり、仕事の後一緒に学校へ行ったりするようになった。

さて、肝心の授業のほうはテキサスの大らかな雰囲気のもと和気あいあいと楽しく進められ、ディスカッションなどにも何とか参加することができた。学期末にはグループでのプレゼンを行うという授業が多く、いろいろな人たちとグループになって一緒に勉強や作業をする機会が与えられた。生徒たちはやはりフルタイムの社会人が多かったが、その中にも僕のような留学生もちらほら見受けられ、アジアや中南米などからの学生が多かった。年齢層は20代後半から30代という若めの年代が大部分を占めていたので、クラスメートたちには特に負い目を感じることもなく割と普通に接することが出来た。

課題やリーディングアサインメントは量も多く大変だったが、僕みたいな仕事を持たない学生はゆっくり時間をかけて勉強することができたので、なんとか授業についていくことができた。この頃はさすがに毎日大量の教科書や資料を読み漁り、猛烈に知識を吸収していた時期だった。また、課外講座でコンピュータの授業もいくつか取り、パワーポイントなどのスキルを磨いていった。

高校・大学時代あれほど苦手意識が強かった数学だが、こっちで取った統計の授業ではいつのまにか優秀な学生に逆戻りしていた。やっぱり日本の数学水準ってすごく高いみたい。周りのアメリカ人が四苦八苦するなか、僕は「なんだ、高校受験で習った内容じゃん」とスラスラ解くことができた。三つ子(十五つ子?)の魂百までということか?

逆に、発言や発表が重視される授業はやっぱり苦手で、ヒートアップする議論についていけなくなったり、壇上でしどろもどろになったりしたが、「今日は最低でも一度は発言しよう」というささやかな目標を少しずつ達成しながら何とか少しずつ慣れる努力をした。日本では「英語が得意」という意識があり、「英語しゃべれるの?すごーい!」なんてちやほやされることも多かったが、やはりアメリカに来ると「自分の英語力なんてまだまだじゃん」と改めて気づかされる。それと同時に、周りのアメリカ人に少しでも近づけるように努力するようにもなった。

ライティングのスキルもまだまだだったこの時期、レポートや論文を書くこともすごく大変だった。悪戦苦闘しながら下書きを書き上げて、Dに添削してもらうという作業が続けられた(でもDもあまり細かく見てくれず、数箇所直す程度。「もっとしっかり見てよ!」と思ったけど、結果的にDに頼ることなく自分の力でやる癖がついたと思う)。唯一救われたのは、APAという論文スタイルに日本の学生時代から慣れ親しんでいたこと。それを知らなかったら、論文の書き方から勉強しなければならなくて大変だっただろう。この辺は英語での教育を重視していたうちの大学や教授たちに感謝だ。

最初の学期ということで、ここには書ききれないほどの苦労や緊張、戸惑いなどがあったけど、結果的にはその学期に取った授業全てAを取ることができて、僕のアメリカ生活にとって大きな自信に結びついた。

Dとの生活も順調で、この年にダウンタウンのロフトから、僕らがその後3年近く住むことになるコンドヘ引越しもした。正直アメリカに来る前は、「Dと初めての同棲生活をうまく送れるかな?」という不安も多少あったが、Dの温かなサポートもあって二人は幸せに過ごすことができた。

翌年もMBA生活は続く。
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by dice_michigan | 2005-03-03 08:50 | 自分史