Daydream (1995)
2005年 02月 11日
衝撃のファーストシングル、Fantasy。何が衝撃かと言うと、リミックスで初めてラッパーをフィーチャーしたということ。今ではポップソングにラッパーが参加することなんて当たり前のことだけど、その先駆けとなったのがこのシングルだったのだ。しかもそのフィーチャリングラッパーと言うのが、かなりハードコアなグループ、Wu Tan Clanのメンバーである、今は亡きOl’ Dirty Bastard。歴史の1ページに残る名コラボとなった。ちなみにリミックスのプロデュースはパフダディー(現P Diddy)。
マライアはFantasyのプロモビデオのディレクターも務めるなど、いろいろ新しいことに意欲的に取り組んでいた時期だった。この頃から少しずつファッションにも変化が出始め、視覚的にも楽しい時期だった。
セカンドシングルであり、アメリカのビルボードチャート史上最大のヒットとなったOne Sweet Dayは、「ちょっとヒットしすぎたのでは?」と思うほど長い間ナンバーワンの座に居座った。この曲をパフォーマンスしたグラミー賞では6部門ノミネートながら結局1つも賞を取ることができず、テレビに映る落胆を隠せないマライアが不憫だった。
サードシングルのAlways Be My Babyは、今でも売れっ子のJermaine Dupriとのコラボ曲。このリミックスでJDの秘蔵っ子であり、後にGlitterで共演することになるDa Bratとも出会うことになる。なつかしのExcapeのソウルフルなコーラスも印象的なこのリミックス、結構好きだったな。そしてこのクラブミックスはSatoshi Tomiieによるものだった(彼は今何をしているのだろう?)。
4thシングルであり、ラジオプレイだけで一般には発売されなかったForeverのプロモビデオでは、当時の追っかけ友達のなべちゃんがビデオに写っていてびっくりしたのを覚えている。この頃はマライアのラジオ受けが非常によく、アメリカでは嫌っていうほど彼女の曲がラジオで流れていたらしい。
その他に好きな曲は、Underneath the StarsとI Am Free。でもヒット曲満載にしては、ちょっぴり統一感に欠けるアルバムという気もする。Music Boxの方が完成度が高かったな。
この頃はインターネットも駆使し始め、世界中のファンと交流を取り始めた頃でもあった。いろいろな情報や写真、海賊版、テレビ映像、貴重アイテムなどを手に入れることができて、便利な世の中になったものだ。
最後に、日本初のコンサートツアーもこのアルバムをひっさげてのことだった。この時は成田空港まで追っかけに行って、生マライアを初めて拝むことができた。その後も宿泊先のフォーシーズンズホテルまで行って、ロビーでもみくちゃになりながら50センチ先のマライアを目にして固まってしまったり、ドキドキの体験が多かった。コンサート自体も、この頃は口パクも少なくて、一番歌に力を入れていた時期だった気がする。
マライアはFantasyのプロモビデオのディレクターも務めるなど、いろいろ新しいことに意欲的に取り組んでいた時期だった。この頃から少しずつファッションにも変化が出始め、視覚的にも楽しい時期だった。
セカンドシングルであり、アメリカのビルボードチャート史上最大のヒットとなったOne Sweet Dayは、「ちょっとヒットしすぎたのでは?」と思うほど長い間ナンバーワンの座に居座った。この曲をパフォーマンスしたグラミー賞では6部門ノミネートながら結局1つも賞を取ることができず、テレビに映る落胆を隠せないマライアが不憫だった。
サードシングルのAlways Be My Babyは、今でも売れっ子のJermaine Dupriとのコラボ曲。このリミックスでJDの秘蔵っ子であり、後にGlitterで共演することになるDa Bratとも出会うことになる。なつかしのExcapeのソウルフルなコーラスも印象的なこのリミックス、結構好きだったな。そしてこのクラブミックスはSatoshi Tomiieによるものだった(彼は今何をしているのだろう?)。
4thシングルであり、ラジオプレイだけで一般には発売されなかったForeverのプロモビデオでは、当時の追っかけ友達のなべちゃんがビデオに写っていてびっくりしたのを覚えている。この頃はマライアのラジオ受けが非常によく、アメリカでは嫌っていうほど彼女の曲がラジオで流れていたらしい。
その他に好きな曲は、Underneath the StarsとI Am Free。でもヒット曲満載にしては、ちょっぴり統一感に欠けるアルバムという気もする。Music Boxの方が完成度が高かったな。
この頃はインターネットも駆使し始め、世界中のファンと交流を取り始めた頃でもあった。いろいろな情報や写真、海賊版、テレビ映像、貴重アイテムなどを手に入れることができて、便利な世の中になったものだ。
最後に、日本初のコンサートツアーもこのアルバムをひっさげてのことだった。この時は成田空港まで追っかけに行って、生マライアを初めて拝むことができた。その後も宿泊先のフォーシーズンズホテルまで行って、ロビーでもみくちゃになりながら50センチ先のマライアを目にして固まってしまったり、ドキドキの体験が多かった。コンサート自体も、この頃は口パクも少なくて、一番歌に力を入れていた時期だった気がする。
by dice_michigan
| 2005-02-11 11:55
| マライア