ミシガン州に住んで丸8年。5年前にデトロイト市内に引っ越しました。デトロイトのことや、自分のこと、大好きなマライアのことなどについてのブログです。(photo by nasa)


by dice_michigan
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カテゴリ:ビザ・グリーンカード( 16 )

グリーンカードの進展があった。I-140という、移民嘆願申請が承認されたのだ。通常1年くらいかかると聞いていたが、1月に出した書類がたった2ヶ月ほどで承認されるという、スピード承認だった。これでグリーンカード獲得まで残るステップは、米国大使館でのインタビューのみとなった。

ところが、ここまで来て、またもや申請プロセスが暗礁に乗り上げている。というのも、僕が申請を行うカテゴリーには現在長期に渡る待ち時間が設定されていて、自分の番が来るまでにあとどれくらいかかるのか見当がつかない状態なのだ。

知っている人も多いかもしれないが、申請者には政府からPriority Dateという番号札のような日付が付与される。僕のPriority Dateは2005年の5月。現在僕のカテゴリーで申請ができるのは、2001年の5月以前のPriority Dateの人たち。単純に計算するとあと4年待たなければいけないことになる。

ただし、そう予定通り物事が進むところではないので、もう少し早く自分の番が来るかもしれないし、ある日突然ころっと方針が変わって「誰でも申請OK」みたいになるかもしれない(あくまで僕の希望的観測なのだが…)。現に他のカテゴリーでは「誰でも申請OK」のものもあるし、去年の10月以前は僕のカテゴリーも「誰でも申請OK」の状態だったのだ。それが、PERMの導入などで前詰まりが解消され、結果的に大使館に申請者がどっと集まるようになってしまい、制限を加えなければいけなくなったようだ。

大使館の担当者を増やすなどして、少しでも待ち時間が短くなるようにしてほしいものだが、現政権はとても移民に優しい政府ではないので、あまり期待はできない。

とにかく、今は待つのみの状況である。
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by dice_michigan | 2006-03-15 10:58 | ビザ・グリーンカード
グリーンカード取得への第2段階である外国人労働許可申請。5月に弁護士を通して申請書を提出したのだが、それがついに承認された!当初はPERMという新しいシステムの下、45~60日間でプロセスされるとのことだったが、結局5ヶ月の期間を要する結果になった。まぁ、アメリカのお役所なんてこんなものよ。

これだけ時間がかかった理由は一つ分かっていた。それはこの職業の条件に「日本語に堪能であること」という項目があったことだ。その条件を満たすことを証明するために、日本語のコミュニケーションのサンプルを提出するように指示が来たのが8月のことだった。それから2ヶ月余り待って、ようやく今回承認が下りたというわけだ。

あまり心配はしていなかったけど、無事に次のステップに進めることがすごくうれしい。次はついに移民嘆願(I-140)の申請。これには約1年くらいの期間を要するようだ。うまくいけば来年末か、さ来年頭くらいにはグリーンカード獲得になるかな?
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by dice_michigan | 2005-10-26 10:32 | ビザ・グリーンカード
新聞広告やウェブによる求人活動が終わり、第二段階であるDOL(労働省)へのLCA(外国人労働許可申請)の段階に来た。僕の場合、広告活動中にPERMという新方式が発表され、その申請条件に合わせるために少し時間や広告代などをロスしてしまったのだが、逆にPERMのおかげで申請処理にかかる時間がかなり早くなるようなのでよしとしよう。

以前のプロセスではまず州の労働局に申請してから連邦労働省へ、という2段階を踏まなければならなかったので2~4年くらいかかっていたものが、新しいPERM方式では、普通にいけば申請から45-60日でLabor Certificate(外国人労働許可証)が発行されるということだ。いろいろなトラブルがつきもののアメリカのお役所なので、「普通にいく」ことを祈る。

ちょっとずつ先に進んでいる感じがしてうれしい。次の第三段階である移民局への永住権申請は「普通にいけば」さらに1年近くかかるそうなので、まだGC取得まで少なくとも1年半はかかりそうな感じだ。
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by dice_michigan | 2005-05-26 19:37 | ビザ・グリーンカード
まだ申請準備中のグリーンカード。その途中経過を書こう。

グリーンカードを取得するにはいろいろな方法があるが、僕がやることになったのは「雇用による申請」だった。うちの会社がスポンサーになってくれて、しかも弁護士料なども多少補助してくれ、取得後は会社に拘束されることなく自由に転職できるというとってもおいしい条件だった。

移民弁護士を探し始めたのが2004年の5月。弁護士料の相場は6000ドル前後だったが、僕が見つけたNYの弁護士は4500ドルと安め。電話で話した限りではレスポンスもよく、質問にも的確に答えてくれて好印象だった。その弁護士さんと契約を結んだのは5月終わりのことだった。

それから申請前の準備として、学歴、渡航歴、ビザ歴、職歴などの細かい情報を弁護士に提供、しばらくして弁護士のほうから「こういう方針で行きましょう」というロードマップが出された。その後、職務内容や肩書きなどについてうちの会社とかれこれ2ヶ月ほどもめてしまったが、何度か修正を加えて8月半ばにはそれもクリアー。第一段階である「新聞広告による求人活動」を開始することになった。

雇用によるグリーンカードを取得するためには、「その職種に見合うアメリカ人を探したけど見つからなかった。だから日本人である申請者(僕)を雇う必要がある」ということを証明しなければならない。そのために約6ヶ月間、地元の新聞や業界紙、ウェブサイトなどに求人広告を出して、求人活動を行うことが義務付けられている。「もし万が一『その職種に見合うアメリカ人』が見つかっちゃったらどうするの?」というような問題は弁護士に任せて、とにかく毎月いろいろなところに広告を出していった。

その広告活動はうちの人事担当にお願いしていたのだが、これが結構面倒くさいものだった。「X月X日にこの新聞に広告を出して、広告のコピーをもらって、広告費を僕の給料から差し引いて…」なんていうタスクが何度もあって、人事担当者には本当にお世話になることが多かった。僕の場合は「これも私の仕事だから」なんて人事担当者に好意的にやってもらえることができてラッキーだったけど、「こんな面倒くさいことやってられっか」とか「あらー、広告出すの忘れちゃったー」なんていうことでうまく活動が進まない場合も大いにありえるような気がする。幸いにも僕の弁護士も細かくフォローを入れてくれる人だったので、一応広告活動は大きな問題もなく順調に進んだ(というか、実は今週最後の広告が出るところなんだけど)。たかが第一段階なのに、初っ端から「面倒くさい」というのが僕の印象だった。まだまだ先は長いというのに。

ここまでが今までの経過だ。近いうちに始まる第二段階は、労働局へ「Labor Certificate」という、「申請者がその仕事を遂行するために必要な人材であるということを証明します」というような証明書を発行してもらうこと。これについては、数ヶ月前に新しいプロセス「PERM」が発表され、発行まで何年もかかっていた従来のRIRという方法に比べて格段にスピードがアップするようだ。その辺の進捗状況はまた後日報告します。
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by dice_michigan | 2005-03-20 22:00 | ビザ・グリーンカード
2回目のビザ取得は2003年、アメリカで就職した後にビザを学生(F1)から就労(H1b)ステータスに切り替えるときだった。移民局から就労許可は下りていたが、パスポートにビザスタンプを貼付してもらうためには一度アメリカ国外に出て、大使館へ申請をしなくてはならない。カナダやメキシコでやると早いという話だったが、もし万が一却下されたりするとややこしくなるので、僕は日本出張の時期に合わせて、東京のアメリカ大使館に申請することにした。

今は申請プロセスが変わっていると思うので、あまり参考にはならないが、その当時はRDSという旅行会社が持つコンピューターシステムを通じて申請する形態が一番早かった。ブログ仲間のTamiちゃんに紹介してもらい、有名な旅行会社に申請代行をお願いすることにした。

その時は申請からビザ発行まで大体2-3週間くらいかかるということだった。今回は書類も全てキチンと揃え、万全の体制で書類を旅行会社に提出。特に大きな不安もなく待つことが出来た。

ところが、3週間が過ぎる頃になってもまだビザは届かなかった。ちょうどそのころビザ申請プロセスの変更がアナウンスされ、新プロセスの準備などで大使館も忙しかったようだった。旅行会社に相談しても、旅行会社のほうでも何もできないそうで、不安は募るばかり。旅行会社に教えてもらい、大使館にFAXで請願してみたり、ダイヤルQ2で大使館の人と話し状況を確認したりしてみたが、とにかく「審査が終わるまで待ちなさい」としか言われずに、状況は改善しなかった。「XX日にアメリカに帰国しなきゃいけないんですー」と言ったところで、大使館にとっては「そんなの知ったこっちゃない」という感じだった。唯一の救いだったのが、偶然同時期に同じビザを申請していたTamiちゃんと情報を共有し合えたことだった。

結局ビザは約4週間後に到着し、僕は出張を延期して1週間遅れで無事アメリカに戻ることができたのだった。
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by dice_michigan | 2005-03-20 02:54 | ビザ・グリーンカード
初めてのアメリカビザは、1999年に取得したF1という学生ビザだった。この時はインターネットなどで申請方法の情報を集め、自分で書類を準備して赤坂のアメリカ大使館の投函箱に投函したのだが、後になって提出書類の1つであった成績証明書を同封し忘れたことに気がついた。

「一度却下されたらビザを取るのはかなり難しくなる」という話を聞いていたので、その瞬間に顔面蒼白になり、「どうしよう!!」と半ばパニックに陥った僕(そんな時でも外見は「普通」に見せることが出来るのが僕の特技でもある。「我を忘れて取り乱す」みたいな姿は滅多に人に見せることはない)。仕方がないので、大使館宛に手紙を書き、成績証明書と一緒に大使館に提出した。

しかし数日後に成績証明書だけが自宅に送り返され、「一度受理した申請に書類を追加することは出来ません。不足書類があれば連絡しますのでお待ちください」という内容の手紙がついてきた。渡米の日時が近づいていたこともあり、「そんな悠長なことやってられないよー」と焦りまくった僕だが(それでもやっぱり外見は「平静」そのもの)、その時はひたすら待つ以外になすすべはなかった。

やがて大使館から別の郵便物が届いた。「絶対ダメだ」と思っていたビザ申請だったが、結果的には問題なく許可され、パスポートには学生ビザのシールが貼られていた。

そんな外見には現れなかったハラハラドキドキのビザ申請が済み、予定通りアメリカに飛ぶことが出来たのだった。
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by dice_michigan | 2005-03-19 08:28 | ビザ・グリーンカード