ミシガン州に住んで丸8年。5年前にデトロイト市内に引っ越しました。デトロイトのことや、自分のこと、大好きなマライアのことなどについてのブログです。(photo by nasa)


by dice_michigan
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ:自分史番外編( 15 )

浮き沈み

周りには分かりにくいかもしれないけど、僕は結構浮き沈みの激しい性格だと思う。職場で絶好調のときは驚くほど仕事がはかどって、tamiちゃんじゃないけど「私って天才!」みたいに自信満々になれるかと思いきや、調子が悪くなると自信がガタガタと崩れ落ち、「僕ってなんて使えない奴なんだ」と落ち込んでしまう。

先週はやらなければいけないことがどんどんたまって行く一方で進捗は停滞気味だった。出張なども重なってメールもろくに読めず、現状もしっかり把握できないまま「これもあれもやらなきゃ」と思いながらもイマイチ頭が働かないで、足踏み状態だった。

週末はようやくのんびりできて、メールも一通り読み返すことができた。「現状をしっかり把握すること」が僕がいい仕事をする大前提なのだ。To Do Listを作って、各項目の進捗状況をまとめ、次のステップを考える。頭の中で考えているだけでは不十分で、文字にしてまとめてみないと見えてこないものが多い。

というわけで週末にじっくり戦略を練ることが出来たので、月曜日の今日は仕事がはかどった。

僕って天才~?(笑)
[PR]
by dice_michigan | 2006-02-28 12:13 | 自分史番外編

気候と気分

って絶対関係あると思う。

実は昨日まで気分があまり優れなかった。楽しかった日本旅行から帰ってきて、いきなり仕事復帰。仕事の調子も「絶好調!」というわけではなかったし、仕事を終えて家に帰ってもDとも会話が途切れがちで、体調もだるいというか風邪っぽいというか、とにかく「冴え」がなかった。

時差ぼけのせいにしていたけど、気候も関係があったのだと思う。というのは昨日まで外はどんよりとした曇り空だったから。

今日は朝から気分がよくて、仕事もはかどっていた。ふと外を見ると、真っ青な青い空が覗ける美しい快晴の日だった。なんだかその青空を見ているだけで、モヤモヤとしたものが消えてふっと楽な気持ちになれたのだ。

気圧とかの影響もあるのだろうか。とにかく今日は楽しい一日だった。

他の人にはどうでもいいことだけど
[PR]
by dice_michigan | 2006-01-13 10:50 | 自分史番外編

新年の抱負

時差ぼけのせいかブログを書く筆がなかなか進まない。「自分史2005年編」も頭の中でいろいろ考えているけど、もう少し時間がかかりそう。

せめて今年の抱負だけでもここに書いておこう。

1.減量
今回の日本帰国前の体重は155ポンド、日本から帰ってきたときは160ポンド。今朝計ったら、156ポンド。あと1ポンド痩せれば、目標達成(早っ!)。もうちょっとがんばって150ポンドくらいまで痩せたいけどね。

1-2.顔痩せ
今回の帰国写真をみて、2重あごが気になった。もともと「顔が丸いね」とよく言われるけど、もう少しすらっと細い顔にしてみたい。でも正直顔痩せをするために何をすればいいのか分からない。顔面体操?あと、日本では目のしたのクマが気になった。でもアメリカに帰ってきてからはそれほど気にならない。日本によくある蛍光灯照明のせいで、顔色がよりいっそう悪く見えたんだろうか?

2.貯金
去年はある程度たまった貯金も移民弁護士代や自動車修理代に吹っ飛んだので、差し引きほぼゼロ。今年こそはたんまり貯金したいものだ。

3.改善
去年は新居に越すという大イベントがあったので割とあわただしかったが、今年はゆっくり腰をすえて、今までペンディングだった改善項目を一つずつ片付けていこうと思う。こまごましたものがいろいろあるので、少しずつこれからのブログに書いていこうと思う。

ちなみに去年、2005年にちなんで5つ設定した抱負の達成度は?

> ■5月までに最低5ポンド減量&年内維持(理想は150ポンド)
まあ達成できたかな。今回の帰国でまた振り出しに戻ってしまったが。

> ■毎週最低5人の友達にメール・電話をする
これもほぼ達成。

> ■毎月最低5人の友達と会って遊ぶ
まあ達成。

> ■毎月500ドルを貯金
一時期貯金したはいいけど、使ってしまったので失敗。

> ■日記をブログに移行
達成。去年はブログのおかげで世界が広がった。

今年は「減量、貯金、改善」をキーワードに一年がんばろうと思う。
[PR]
by dice_michigan | 2006-01-07 16:50 | 自分史番外編

29歳の誕生日

7月22日、29歳の誕生日を迎えた。30歳になるまであと1年あるという安心感なのか、「20代世代の先輩格」という自信(?)なのかは分からないが、何となく「29歳」という年齢が気に入っている。数年前は、「あーもう20代後半、四捨五入すると30だよー」なんていう風に歳をとることに抵抗を感じていたのだが、今年はむしろ誕生日を迎えることがうれしかったりする。

デトロイトにロフトを買って腰をすえたのが大きな安定感を生み出し、仕事も楽しく充実した日々を送れていることが自分の自信につながり、今現在の生活に満足している。これまた数年前は「ミシガンなんてつまらない。少しでも早く他州に移りたい」なんて思っていたのだが、今ではすっかりデトロイトという街のファンになってしまった。デトロイトの楽しさについてはまたあとでまとめてみようと思う。

会社など、身の回りに同い年の友達がたくさんいるのもうれしい。出身や趣味など、何かしら共通点がある人とは気も合うものだが、年齢が近いと「うちらが小学生の頃はさー」みたいな話ができて楽しい。

さて、これから20代最後の1年を思う存分楽しもうと思う。

「そういえばうちらが高校生の頃さー、マライアが主題歌を歌った『29歳のクリスマス』なんていうテレビドラマが流行ってたよねー」
[PR]
by dice_michigan | 2005-07-24 12:01 | 自分史番外編

英語低迷

最近自分の英語力の低迷を感じている。その大きな原因は、職場で日本語を使う機会が増えたこと。オフィスでも日本人の同僚と日本語で会話し、日本側スタッフとも日本語で話やメールをすることが多くなり、比例的に英語を使う機会が減ってきたのだ。最近Dにさえ「君の英語はよく分からない」と言われることが多くなってきた。恋人同士でさえ意志の疎通ができないとなると、ちょっと問題かもしれない。

疲れているとき、緊張しているとき、不安など心にわだかまりがあるときなども英語力が鈍ることがある。逆に、絶好調なときはスラスラと英語が出てくることもあって、その差は結構激しい。どうすれば自分の英語力をいいレベルに保てるか考えてみたが、「使う機会を増やすこと」以外にいい方法が思いつかない。英語のニュースや雑誌の記事を読んで語彙を増やす、映画やドラマで口語的表現を学ぶ、いろんな人と会っておしゃべりをする、などなど、楽しみながら英語を練習する機会はいくらでもありそうだ。もう少し意識しながら英語に触れる機会を増やしていこうと思う。

アメリカに来て、日本語を忘れないようにと始めた日記やブログだが、その逆に英語を忘れないように英語のブログでも始めようかな?(と思うだけで、多分実行には移さないと思うけど。まだまだ英語でものを書くほど達者ではないし)

誰か他に英語力を保ついいアイディアがあったら教えてください。
[PR]
by dice_michigan | 2005-07-20 10:43 | 自分史番外編

出向社員という身分

日記にも書いたが、今週で僕は出向を終えて、来週からは自分の会社のオフィスに戻る。今日は2年間の出向生活を振り返ってみようと思う。

僕の出向が決まったのは2003年の1月終わりのこと。まだ入社してから半年も経っていなかったときだ。初めはインディアナの片田舎にある顧客オフィスに配属されるという話もあったが、「田舎はイヤです!」ときっぱり自分の希望を伝えた結果、「それなら」ということで今の顧客のオフィスに行くことになった(ちなみにインディアナには僕の同僚が行き、彼は「もうミシガンには帰りたくない」とまで言うほど向こうの生活に満足しているようだ。世の中うまく働くもんだ)。

顧客は社員数数十万人という巨大な会社。僕はその中でもエンジニアリング部門に配属され、製品開発に携わることになった。出向社員(顧客オフィスではレジデントエンジニアと呼ばれている)はサプライヤー側からしてみれば顧客の内部情報を迅速に取得できるし、顧客側からすると人件費のかからない労働力が確保できるというメリットがある。もちろん顧客の機密情報などは持ち出すことは出来ないけど、なんとなく顧客オフィスの体制や雰囲気、「今こんなことが起きているんですよ」という生の情報を自分の会社に伝えることができて、重宝されていた。また、顧客の仕事の仕方を学んで、それを自分の会社に持って帰ることで、ビジネスのプロセスなんかも効率化することが出来るという利点もあった。

最初の勤務先はデトロイトから25マイルほど北に行ったPontiacという街だった。初めは分からないことだらけで、戸惑うことばかり。大きな組織なので一人一人の責任がはっきり区分けされていて、「私に聞かれても分からない」とか「これは私の領域ではない」などと言われてしまう始末。どのグループがどんなことをして、どういう風に関係しているのかということを学ぶのに長い時間がかかった。幸い出向先の同僚たちにサポートしてもらえたし、自分の会社からも温かくサポートしてもらえたので、少しずつ組織の成り立ちや仕事を学ぶことができた。

それから半年ほどして、勤務地がWarrenという街に移転した。Pontiacでは同じグループでも机はバラバラで徒歩1分かけて同僚に話に行ったりしたが、Warrenではグループが固まっていたので、仕事がしやすくなった。また少しずつ人脈も広がって行き、自分や自分の会社の名も知られるようになった。時にはエグゼクティブなどのお偉いさんと接する機会もあった。2年間の間にいろいろな部門にいる何百人という人たちと出会って、何かしらの仕事をしていくという経験は何事にも代えがたい。他のサプライヤーの日本人などと出会えたこともすごく貴重な体験だった。こういう人脈は将来的にも有効に活用できる財産になったと思う。

また、縁あってDも同じ顧客のIT部門にコンサルティングをすることになった。勤務先も部門も違うので仕事のつながりはまったくないが、会社のGLBT団体のイベントなどに一緒に参加したり、会社自体の社風なんかについて情報を共有しあえたりできたことがうれしかった。

1年以上経って仕事に慣れてくるとやり方もだいぶわかってきて、効率的に物事を進めることができるようになった。初めは悪戦苦闘していろいろな人に電話をかけまくったりして何日もかけてやっていたものが、ほんの数十分でできるようになるという違いは大きい。そうやってちゃきちゃきと仕事を進めることに充実感を覚えたが、一度コツをつかんでしまうと仕事は割と簡単でやりがいやモチベーションが低下し、次の目標が必要なことも認識していた。

「このままレジデントとしてある意味ぬるま湯につかった状態を続けるよりは、自分の会社に戻ってもっと挑戦的な仕事に取り組みたい」、それが僕が出した結論だった。そう決意したのが約半年前で、それから少しずつ自分の会社の上司や顧客オフィスの上司に自分の希望を伝え始め、根回しを進めてきた。「ここまで顧客オフィスで実績を積んできた君を戻すのは惜しい」とも言われたが、今まで培った経験を自分の会社に持ち帰って有効に活用できること、代わりの人にも同じような経験を積んでもらうことが将来的にも会社のためになることなどを少しずつ説得していった。引継ぎのために仕事のマニュアルを作ったり、引継ぎ者と何度も会って情報を共有したり、オフィスのセットアップを整えたり、準備は順調に進んだ。まめにマネージャーたちと会って進捗状況を報告し、マネージャーにしてもらうべきこともキチンとしてもらった。そしてちょうどプロジェクトの節目にさしかかった来週ついに異動する手はずが整った。

正直新しい仕事に対するエキサイト感と緊張、今の仕事場や仕事仲間を去る悲しさなどのいろいろな感情が入りまじっている。でも、これが正しい決断だったことは確信している。新しく担当する仕事でもたくさんの経験を積んでいこうと思う。
[PR]
by dice_michigan | 2005-04-30 10:59 | 自分史番外編

日本人であること

僕は「日本人」の「ゲイ」である。この二つのキーワードが僕のアイデンティティの大部分を形成している。今日は「日本人」ということについて考えてみようと思う。

日本に暮らしている頃は、「アメリカ大好き!アメリカ人大好き!」なんて思っていたけど、アメリカで何年も暮らしていると、「自分は日本人でよかったなー」と思うことが多くなってくる。別にアメリカ人が悪いとか、アメリカが日本に比べて劣っていると言うわけではないが、「自分=日本人」という紛れもない事実を誇りを持って受けとめることができるようになったのだと思う。

日本の何がいいのかと聞かれると、いくつか答えは挙がるが、まずは食べ物。ご飯もお菓子もデザートも、何でも日本のもののほうがおいしいと感じる。単に慣れとか親しみもあるのだが、繊細な味付け、いろいろな小皿が登場する細かい盛り付けなど、大味のアメリカ料理に慣れた口には衝撃のおいしさだ。

その他にも「きめ細かい」がキーワードになるようなものが多い。日本のお店やホテルなどに行ったときに受けるきめ細かいサービスは、アメリカでの「言わないと出てこない」サービスとは大違い(アメリカでは言ってもでてこないこともあるし…)。日本の製品(たとえば携帯電話)はきめ細かい機能やデザインがついてくるし、包装やパッケージングなども非常にきめ細かい。商品の包装やパッケージなどは、開けやすいように工夫がしてあって感激(アメリカの包装はハサミやカッターがないと開けられないものが多い。万引きを抑制する目的なのかもしれないけど、一般消費者にとっては面倒だ)。

「暗黙の了解」、「あ・うんの呼吸(使い方あってる?)」なんていうのも日本的で好きだ。言葉に出さなくても意思の疎通ができるなんて、すごく楽。アメリカでは言葉に出して言わないと伝わらないことが多いからね。

アメリカに長く住めば住むほど、自分の日本人としてのアイデンティティが強まってくる気がする。日常的に日本食を食べて、日本語を使って、日本人と遊んでいるので、「アメリカに暮らしている意味がないじゃん。日本に帰ったほうがいいんじゃないの?」と突っ込まれそうだけど、決してそういうわけでもないのだ。きっと日本に帰ったら帰ったで、「アメリカが恋しい~」となりそうだし。

どんなに外国生活が長くなろうと、日本人であることだけは忘れないように努めようと思う。

みなさんは「日本人」?
[PR]
by dice_michigan | 2005-04-13 09:34 | 自分史番外編

ゲイであること

僕は紛れもなく「ゲイ」である。「ゲイ」と言うと、単に「同性が好き」というだけでなく、それ以上の文化みたいなものがついてくる。そういう文化はステレオタイプとしてネガティブに捉えられることもあるし、同性愛者がみんな同じような枠にとらわれるのもどうかと思うが、それでも僕にとっては「ゲイであること」がうれしく、「日本人であること」と同じくらい誇りに思えることなのだ。今日は僕が考える「ゲイであること」について書いてみようと思う。

まず、芸術やアート、ファッションに興味を持つこと。「自分が美しくありたい」、「美しいものに惹かれる」というのは、裏を返せば自分の奥底に潜む劣等感を隠すという意味もあるのかもしれないが、そんな心理学的なことはさておき、きれいなものやきれいになれるもの(美容用品などを含む)は大好きだ。「センスがいいね」と言われるのも、ゲイとしての冥利に尽きる思いだ。

そのようなセンスは生まれつきあったというわけではなく、後天的なものだったと僕は思う。僕自身の体験からすれば、音楽は幼少の頃から慣れ親しんでいたけど、アートや芸術パフォーマンス類にはもともと興味がなく、Dや他の人から教えてもらって少しずつ好きになっていったような感じだ。また、ファッションも大学を卒業する頃まではあまり気にすることがなく、特に中学の頃なんてものすごくセンスの悪い服を平気で着ていた。それもDに少しずつ教育されて今のレベルまで到達することができた。「人は女として生まれるのではない、女になるのだ」と言ったのは誰だか覚えていないけど、ゲイも同じで性の指向は生まれつき「同性愛」であると思うが、「ゲイ」という文化は少しずつ修行しながら習得していくものだと思う。

また、これも劣等感から来るものかもしれないが、絶えず向上心を持ち続けるということもゲイの特徴だ。世間から抑圧される中、「負けるもんか」とカミングアウトし、自分を磨き続けるゲイたち。その結果、高学歴、高収入なんていう人が多いのもうなずける(僕はまだ収入面では発展途上中だが)。

ゲイとして生きてきて一番うれしいと感じるのは、人の苦しみや悩みに共感できるということ。弱者の立場に立って、人道的な援助をしたり助けを必要とする人に手を差し伸べるのはゲイの間では割と一般的なことだ。僕もボランティアなどを通じて人助けをするのは大好き。そうすることで自分が味わってきた苦しみの教訓を生かせているような気もする。
[PR]
by dice_michigan | 2005-04-01 11:36 | 自分史番外編

僕の宗教観

日記に書いた通り、今日はしばらくぶりに教会に行ってきた。

普段「あなたの宗教は?」と聞かれると、大抵は「無宗教です」と答えることが多い。特に毎日何かを信仰しているわけではないし、どこかの組織に属していると言う意識もないからだ。でも、本当に何も信じていないかと聞かれると、少し考えてしまう。今日はそんな僕の宗教観について書いてみようと思う。

幼少時は母に連れられて、カソリック教会に通っていた。僕は小学校で洗礼を受け、高校で堅信も済ませ、表向きはれっきとした「カソリック教徒」である。でも子供の頃からいまいちキリスト教の教えには馴染めなかった。エルサレムとか聞いたこともない土地で、ヨゼフとか聞いたこともない名前の人たちが登場する聖書。日本で生まれ育った僕にとっては、親近感を感じることはあまりなかった。

思春期を向かえ、「結婚するまで・結婚する相手としか性交渉を持ってはいけません」なんて教えられて、「えー、そんなのつまんない」なんて反抗を覚え、しかもゲイは結婚できないので、「じゃ、僕は一生エッチできないの?」なんていう疑問も生まれた(でも当時はそんな疑問を相談する相手もいなかった)。「聖職者の道に進んだら?」なんていう提案を受けたこともあるが、なんだかそれも腑に落ちなかった。

カソリック以外にも、基本的に宗教はゲイとして生きるには辛いものが多い。キリスト教の聖書には(実際確認したことはないのだが)「同性と性交渉を持ったものは地獄に落ちる」というような記述がある、らしい(反同性愛者グループによれば、の話だが)し、イスラム教やユダヤ教なども厳しく同性愛を禁止しているようだ。ゲイを容認するキリスト教会などもあるが、僕にとってはそこまでして認めてもらう必要性も感じずに、あまり興味はわかなかった。

本当に信仰心が強ければ、自分なりに妥協するなり解釈を変えるなりして、自分のライフスタイルと矛盾する教えを文字通り受け入れることもないと思うが(現に僕の友達のようにゲイのカソリック教徒だっているし)、僕にとってはキリスト教はそれ以外にもいろいろと面倒くさいルールや保守的なしきたりが多くて、「そんなのやってられっか」と途中で放棄してしまった。母にとっては僕を含め子供たちが誰もキリスト教にならなくて残念だっただろう。

父方は典型的な日本家庭なので、冠婚葬祭時は仏教、初詣や七五三などのお祝い事は神社で、という感じ。特に宗教心が強い家系ではないが、地方ということもあり一応先祖代々お坊さんやお寺とのつながりも深いようだ。

そんな中、日本で生まれ育った僕にとっては、むしろ仏教や神道の教えのほうが馴染みやすかった。なんとなく「仏様」とか「自然の神」のようなコンセプトは理解できる。特に神道は「人でも動物でも自然でも、何でもまつってしまえー」みたいな寄せ鍋的な印象があって僕にとっては好ましかった。宮崎駿の「もののけ姫」で見られるような、日本古来から受け継いだ、自然を大事にする姿勢や自然との調和を図る姿勢には大いに賛同できる(それが「神道」なのかと聞かれると、よく分からないけど。アメリカではよく取り上げられる仏教の「禅」という教えもイマイチ理解不足)。

では、既存の宗教はさておき、「自分は何を信じているのか?」と言うと、最近思うのは「運」とか「縁」である。自分の人生を振り返ると、困難に直面しながらもなんだかんだいって最終的には事がうまく進むことが多かった。自分が全く努力していないというわけではないが、何か僕の理解を超えたものに守られ(「運」)、導かれているような気がする(「縁」)。それが一体何なのか少しだけ気になるけど、でもそのことを深く追求しようとも思わないし、それに対して祈ろうとも思わない。だから僕は信仰には興味がないのかな。

ともかく、どこの誰だか知らないけど、いつも僕を守ってくれてありがとう。
[PR]
by dice_michigan | 2005-03-28 10:55 | 自分史番外編

ミシガン州と僕

ミシガンに初めて来たのは2002年の夏。初めて空港に降り立ち、周囲の風景を眺めた感想は「木が高い」だった。当時住んでいたテキサスは暑くて乾燥しているため低木が多く、ミシガンにあるような背の高ーい木を見るのは珍しいことだった。そんな緑豊かなミシガン、五大湖にも囲まれて自然が豊富。「ミシガンってきれいなところだな」というのが僕の第一印象だった。

ミシガン州は黒人の人口も多いことを知っていたので、「オースティンなんかよりも人種のるつぼという感じで楽しいかも」、「本格的なヒップホップやソウルミュージックが聴けるかも」などと期待していたのだが、実際に来てみると予想していたものとは全く違う世界でびっくりした。何しろ「黒」と「白」がはっきりと分かれていて、両者の交流がほとんどないといっても過言ではないようなところ(そんな中、アジア人はどちらかと言うと「白」に近い位置にある)。「この町は白人(黒人)の町」という感じで、そうではない人は近づかなかったり、「そこに行く」と誰かに言うと、「何でそんなところに行くの?」と不思議がられたり。映画で知っている人も多いと思うが「8マイルロード」が有名なデトロイト都市圏の黒と白の境界線で、その南は黒人の貧困街、その北は白人の中流層の街がある。道路を1つ越えただけで雰囲気ががらっと変わるのにはすごく驚いた。

引っ越してきた当初は大学の町アナーバーの隣町、イプシランティに住んでいた。アナーバーが学生やインテリ層が多く住む閑静な美しい街であるのに対し、イプシはどちらかというと黒人や貧しい人が多く、あまりいいイメージではなかった。「家賃が安め」ということで選んだ僕のアパートは、始めは快適に暮らせていたが、隣人の騒音や駐車場でのうるさいパーティなどには少し戸惑った。とはいえ、危険な目に遭ったことはなかったし、会社までは車で5分、同僚なども近所に住んでいたので、それほど嫌な思いはしなかったのだけど。

それから半年後、勤務地が変わったのと同時にアパートも変えることにした。引越し先はデトロイトの北にあるトロイというアッパーミドルが多く住むエリアだった。高級車が多く目に付くこのエリアに住み始めた頃は、「なんてゴージャスなエリアなの!」とまるで自分もセレブの仲間入りをしたようにうれしかった。新しいアパートもイプシのアパートに比べれば格段に快適で、広々とした間取りと両サイドから注ぎ込む自然光、そして背の高い木々がそよそよとたなびく風景がお気に入りだった。

ところが、しばらく経つとそんな優雅な生活にも変化が訪れてきた。どこへ行くにも車が必要で、近くの「ダウンタウン」と呼ばれる街並みは「え、これだけ?」というほど小規模でお店も少ない。その代わりに郊外に大きな駐車場を備えたエンターテイメント施設やレストランが繁盛している。そういうところに遊びに出ると表面的にはきれいで楽しいが、何だか盛り上がりに欠けるし、周りの人たちとはちょっと考え方やファッションも合わない。「これが『郊外』の生活というものなのか」と気がついた頃には、「トロイってなんて退屈な街なんだ」と思うようになっていた。それと同時に、「僕らはこんなつまらないところで何をやっているんだろう?」という空しさも感じ、去年の夏くらいまではかなりミシガンでの生活に嫌気が差していた。

それ以外にも辛かったのが、いつまでも続く長い冬。まだ僕にとっては雪が珍しいので、11月や12月に降る雪は楽しい。でも1月、2月、そして3月にもなってまだ氷点下の寒いどんよりとした曇り空を見続けると、気分もかなり滅入るものだ。こればかりはもうどうしようもないことなのだけど。今回3度目の冬を迎え、少しずつこの気候にも慣れてきた気もする。

そんなわけで、「ミシガン嫌い。一日も早くミシガンを脱出したい」なんて思っていた僕らにも、去年の夏くらいから少しずつ変化が訪れた。まず、退屈な郊外を抜け出して「危険だから近づかないほうがいい」と教えられていたデトロイトに少しずつ遊びに行くようになったこと。空洞化が進んだデトロイトのダウンタウンは行き先をよく知っていないとあまり面白くはないと思うが、それでも美術館、博物館、劇場、スポーツ観戦施設、ライブ会場、バーなどが多く集まるダウンタウン地区は遊び場も多く、また郊外にはいないような先鋭的な人たちが集まる場所でもあった。

初めて見たデトロイトのコンドミニアムは、廃墟や空き地の中にぽつんと建てられた感じで、「こんな寂しい、危なそうなところに住むのは嫌だ」と感じたのを覚えている。毎日犯罪の恐怖におびえながら暮らすなんて、とてもじゃないけど精神的に悪そうだ。その後見たところも、やっぱり安全面で不安が残るところが多かった。「やっぱりデトロイトは遊びに行くのは楽しいけど、住むとなると話は別なのかな」と思ったこともあった。でもいろいろな物件を見るうちに、「この辺だったら比較的安全」というエリアもいくつも見つけることができて、ついに「ここに住みたい!」と思うような物件も見つけることが出来た。

そして来月からは念願のデトロイト生活が始まる。これから僕のミシガンに対する印象がどういう風に変化していくのか、楽しみだ。
[PR]
by dice_michigan | 2005-03-21 10:17 | 自分史番外編