2004年、28歳
2005年 03月 12日
年明け後から、再びDの不毛の求職活動が始まった。ミシガンではIT業界が縮小の傾向にあり、安い労働力があるインドなどへどんどん仕事が流れているようだった。しかもミシガンには製造業独特の特殊なIT業界があるらしく、他州からやってきて、ミシガンでは経験のないDにはさらにつらい求職活動となった。いろいろな仕事に応募しても何の反応もなし、「もしかしてこのままずっと仕事が見つからないのでは」とDも気が気ではなかっただろう。そんな彼のサポートをするべき僕のほうも、「こんなはずじゃなかった」とテンパってしまい、お互い精神的に余裕のない、ある意味一触即発状態の生活をしていた。
今思い返してもDが失業中の15ヶ月間は非常に大変なものだった。Dはあり余った時間を使ってボランティアをしたり、趣味の写真のクラスを取ったり、ちょこちょこと外出していたが、それでもほとんどの時間(特に寒い冬の間)は家に籠もりがちになり、気分も沈んでいった。「今日も何の収穫もなかった」なんていうことを毎日聞く僕のほうもつらくて、現実と向き合うのが大変だった。
そんな中、少し気分を入れ替えるために、5月のメモリアルデーの時期に1週間休みを取って旅行に出かけることにした。行き先はカナダ。トロント、オタワ、モントリオールの3都市を車で巡って、カナダという国の優しさや美しさにも触れ、だいぶ心が落ち着いてリラックスすることが出来た。
不思議なことに、その旅行がきっかけで少しずつ状況が改善し始め、ついに7月には待望のDの仕事が決定したのだった。そこでは僕と同じ顧客を相手に、ITのコンサルティングをすることになった。こうして長かった失業生活から脱して、それから念願だった初の共働き生活が始まることになった。
それからは家事の分担や時間の使い方などを見直すことになり、それはそれで難しいものがあったが、協力し合いながら新しい環境に慣れる努力をした。お互い忙しくなったけど、心の距離だけは遠ざけない努力をした。
この1年間で僕の仕事の環境も様変わりし、親しかった先輩や同僚が転職して行ったりする一方、僕のほうは少しずつ責任のある仕事を任されるようになり、やりがいのある仕事が楽しい時期だった。数年一緒に仕事をしてきて信頼のおける同僚や日本のスタッフたちと協力して、どうすればプロジェクトがスムーズに回るかということに重点を置いて、日々脳みそを使いながら仕事をしていった。
顧客相手の仕事なので、ただ長時間仕事をしているだけでは意味がなく、「どうすれば顧客が僕らのプロポーザルにYesと言うか」について話し合い、顧客の立場に立って戦略を練っていくことが必要だ。顧客側と日本の開発側の両方が納得いく案を考えることはなかなか難しいことだが、それに成功して物事がうまく進んだときの達成感はひとしおだ。その達成感を味わいたくて仕事をがんばっている気がする。
この年の年末は、一人で日本に里帰りした。久しぶりに自分だけの時間を満喫し、家族やいろいろな友達と会って近況を連絡しあった。大晦日にはDとオースティンで落ち合って、新年はオースティンで祝った。
今思い返してもDが失業中の15ヶ月間は非常に大変なものだった。Dはあり余った時間を使ってボランティアをしたり、趣味の写真のクラスを取ったり、ちょこちょこと外出していたが、それでもほとんどの時間(特に寒い冬の間)は家に籠もりがちになり、気分も沈んでいった。「今日も何の収穫もなかった」なんていうことを毎日聞く僕のほうもつらくて、現実と向き合うのが大変だった。
そんな中、少し気分を入れ替えるために、5月のメモリアルデーの時期に1週間休みを取って旅行に出かけることにした。行き先はカナダ。トロント、オタワ、モントリオールの3都市を車で巡って、カナダという国の優しさや美しさにも触れ、だいぶ心が落ち着いてリラックスすることが出来た。
不思議なことに、その旅行がきっかけで少しずつ状況が改善し始め、ついに7月には待望のDの仕事が決定したのだった。そこでは僕と同じ顧客を相手に、ITのコンサルティングをすることになった。こうして長かった失業生活から脱して、それから念願だった初の共働き生活が始まることになった。
それからは家事の分担や時間の使い方などを見直すことになり、それはそれで難しいものがあったが、協力し合いながら新しい環境に慣れる努力をした。お互い忙しくなったけど、心の距離だけは遠ざけない努力をした。
この1年間で僕の仕事の環境も様変わりし、親しかった先輩や同僚が転職して行ったりする一方、僕のほうは少しずつ責任のある仕事を任されるようになり、やりがいのある仕事が楽しい時期だった。数年一緒に仕事をしてきて信頼のおける同僚や日本のスタッフたちと協力して、どうすればプロジェクトがスムーズに回るかということに重点を置いて、日々脳みそを使いながら仕事をしていった。
顧客相手の仕事なので、ただ長時間仕事をしているだけでは意味がなく、「どうすれば顧客が僕らのプロポーザルにYesと言うか」について話し合い、顧客の立場に立って戦略を練っていくことが必要だ。顧客側と日本の開発側の両方が納得いく案を考えることはなかなか難しいことだが、それに成功して物事がうまく進んだときの達成感はひとしおだ。その達成感を味わいたくて仕事をがんばっている気がする。
この年の年末は、一人で日本に里帰りした。久しぶりに自分だけの時間を満喫し、家族やいろいろな友達と会って近況を連絡しあった。大晦日にはDとオースティンで落ち合って、新年はオースティンで祝った。
by dice_michigan
| 2005-03-12 12:45
| 自分史