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ミシガン州に住んで丸8年。5年前にデトロイト市内に引っ越しました。デトロイトのことや、自分のこと、大好きなマライアのことなどについてのブログです。(photo by nasa)


by dice_michigan
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2001年、25歳

MBAの中でもいろいろと専攻が分かれていて、僕はMIS(情報システム管理)を集中的に勉強していた。プログラミング言語を勉強するのもおもしろかったし、SQLサーバーなどのデータベースなどを使ってタスクを効率化・簡素化するということにすごく興味を持っていた。

そんな熱意が通じたのか、MISの担当教授から「僕のティーチングアシスタントをやってみないか?」というお誘いが来た。いい経験にもなるし、人脈も広がるチャンスだ。そんなまたとない機会に喜んで仕事をすることにした。ビザの関係で週20時間しか働けなかったが、他の勉強もあったのでそれくらいがちょうどよかった。仕事の内容は、教授のリサーチの手伝い(論文検索、情報収集などの雑用)などから、授業資料の作成、宿題の添削、試験の採点など、そして時々はオフィスのハードウェアやネットワークのセットアップやメンテナンスも手伝った。市内で開かれたカンファレンスなどにも顔を出すなど、すごくいい経験をさせてもらったと思う。

前年の夏はのんびりと過ごしてしまったので、「今年はもう少し張りのある生活を」ということで、バイトの傍らスペイン語の授業も聴講することにした。テキサスにはメキシコ系の人たちが非常に多く、スペイン語にふれる機会もたくさんあるのだ。週3回、朝早く年下の学部生たちと一緒に勉強することになった。それもとても楽しくて、いろいろと勉強になった。

そして7月には母がオースティンにやってきた。英語を勉強したいという母の希望もあって、1ヶ月間UT近くの語学学校に通うことにしてもらった。勉強に集中できるよう、滞在中の大半は学校の近くの大学寮を借りて住んでもらうことに。僕でも経験したことのない寮生活を体験してもらえて結構面白い滞在になったのではないかと思う。夕方や週末は一緒に食事をしたり出かけたり、思い出に残る滞在となった。母の持ち前の行動的・社交的な性格から、オースティンの友達の間でも人気の的で、「いいお母さんだねー」なんて言ってもらえてすごくうれしかった。Dと母という嫁(?)・姑間の関係を築くいい機会でもあった。

そんな盛りだくさんの楽しい夏休みが終わって、9月になると秋学期が始まった。その直後にテロが発生。この事件でアメリカは揺れに揺れまくり、しばらく不安定な時期が続いた。愛国心に燃えあがり、一致団結するアメリカ人たちを目にして、価値観のズレや疎外感を感じた僕。おまけにバイトと勉学の両立で少し疲れ気味になっていた。次第にストレスやいろいろな感情を溜め込むようになってしまい、ついに鬱病になってしまった。

それから数ヶ月間、もぬけの殻のような状態で、だるい、やる気がおきない、そして意味もなく悲しくなる毎日が続いた。幸いDや周りの友達が辛抱強くサポートしてくれたし、一応日常の生活(バイト・授業)は支障なくこなせたので、ダメージは最小に抑えられたが、その数ヶ月間はとてもつらいものだった。思うように動けない→物事がうまく行かない→「何やってるんだ、自分」、みたいな悪循環が続き、絶えず心臓がキューンと引き締まって重い感じがしていた。

「これではいけない」と無理して出かけてみたり、いろいろな活動に参加して忙しくしてみたが、あまり効果はなかった。後で知ったことだが、運動してストレスを発散することはいいことだが、それ以外はゆっくり休養するほうが鬱病治療にはいいらしい。最終的には学校の心理カウンセラーに通って、心の内にたまっていたことを整理して、そして年末には日本に帰国して、だいぶ落ち着きを取り戻すことが出来た。

以前から鬱気味になることはあったが、これほど重度のものは初めてだったので、正直びっくりした。もし読者の中に鬱気味の人がいたら、無理をしないでゆっくり休むこと、そして一人で溜め込まないで誰か理解してくれる人に相談することをお勧めする。
by dice_michigan | 2005-03-06 21:53 | 自分史