ミシガン州に住んで丸8年。5年前にデトロイト市内に引っ越しました。デトロイトのことや、自分のこと、大好きなマライアのことなどについてのブログです。(photo by nasa)


by dice_michigan
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ビザ・グリーンカード体験談14:最終GC面接!

週末は友達と会う約束を全てキャンセルし、日曜日、姉夫婦の住む東京の神楽坂へ向かった。地震から2日経ったこの日は、電車も平常どおりとまではいかないが、50%くらいは復旧していた。私鉄、JR、地下鉄を乗り継いで、夕方になる頃公園で遊ぶ姉夫婦と甥と合流。夕暮れ時に滑り台やブランコで楽しそうに遊ぶ甥や他の子供たちを見て、癒される感情を覚えた。その日の夜は神楽坂のしゃぶしゃぶ屋で国産牛と豚のしゃぶしゃぶをご馳走になり、姉宅で甥とアンパンマンを見てから床についた。

翌日の月曜日、交通機関の乱れを予想して、面接の2時間前に姉宅を出発。地下鉄に乗ろうとするも、南北線がものすごい混雑で断念。駅4個分を歩く決意をした(今思えば道もすいていたのでタクシーを使ってもよかったのだが、その時は自分の足で歩いていくのが一番確実に思えた)。飯田橋から外堀通りをテクテクとあるくこと1時間あまり、多少迷いながらもなんとか溜池山王のアメリカ大使館に到着した。

大使館は思っていた以上にガラガラ。9時半の面接予約だったが9時に到着して、受付番号は11番。僕よりも前に来ていた人たちが順番に窓口に呼ばれ、書類チェック→指紋採取→最終面接の順に手続きを進めていた。今日は永住権面接のみの日のようで、来ていた人たちのほとんどは国際結婚組。キレイな日本人女性とどんくさそうなアメリカ人男性(失礼?)カップルが多い。日本人女性たちはここまで来るのに書類の準備や手続きなどできっと相当の苦労をしてきたのだろう。面持ちもどことなく不安げで緊張感が漂っていた。それに対してアメリカ人夫たちは、いたってリラックスムードで、スウェットシャツ姿でガムを噛んだりコーラを飲んだり、「あー、めんどくせー」感をかもし出しまくり。ある窓口で、手続きがまだ終わっていないのに席に戻ろうとした旦那を掴まえて、「てめーぶっ殺すぞ」視線を送っていた日本人女性に心から同情してしまった。移民手続きの苦労は、たとえ人生の伴侶であろうとなかなか理解してもらえないものなのだ。

さて、30分ほど待った頃、僕の番号がアナウンスされた。書類のチェックは日本人スタッフが日本語で対応。特に書類に不備はなく、警察証明についても、発行された年以降に日本に住んだことはない旨を伝えると問題なしとのこと。ここでレントゲン写真についての扱いの指示があった(スーツケースに入れてアメリカに持ち帰ること。手荷物ではなくてもよい)。

続いて指紋採取。フィリピン系?のおばさんの指示の元、右手4本指、親指、左手4本指、親指とスキャナーでスキャンしてもらう。これは入国審査場のモノと似ていた。

最後の最終面接では、アジア系のお兄ちゃんが英語で3-4つ仕事の内容について質問をした後、めでたく面接は合格。書類にサインをして、今後の流れの説明が書かれたプリントをもらい、大使館を後にした。この時すでに11時頃だった。

実は大使館にいる間も余震が何度も起こっていて、震度3くらいのものもあったりした。その度に待合室で流れていたTVのニュースをチェックしつつ、「こんな時に大使館がいきなりクローズとかしたら嫌だな」とビクビクしていたのだが、幸い大使館の手続きは中断することなく淡々と進められていった。ちなみに前の週の金曜日は大地震の後さすがに大使館もクローズになったようだ。その時にビザ手続きをしていた人たちはどうなったんだろうか…

それはさておき、無事にビザ面接が終わり、晴れ晴れした気持ちで姉宅へ帰宅(帰りの地下鉄はガラガラだった)。その後新宿の高層ビルの眺めのよいレストランで、一人祝杯&ランチを楽しんだのだった(こんなご時世に高い高層ビルに上がる人は珍しいらしく、レストランは閑古鳥が鳴いていた…)。その時は、地震のような揺れを感じても、「風だ、風」と思うことにして心配しないことにした。

ランチの後は、新宿でお買い物。ユニクロで下着、岡田屋で毛糸(珍しいものがたくさんあって楽しかった!)、伊勢丹はウィンドーショッピングのみ、そして丸井メンズ館では衣類を大量に買い占め。平日の昼間で店は空いていて、節電のため普段より早い時間にしまってしまったが、僕にとっては十分買い物を楽しめた。そして夕方には二丁目でビール休憩。バーのママ(♂)と地震の話をしたりしながらたそがれていたが、お友達のルルちゃん(アイルランド人)がすぐ近くの新宿3丁目で飲んでいることを知って、そちらに合流することにした。

そこではルルちゃんとルルちゃんのお友達(みんな外国人)数人が飲んでいたが、みんな原発の放射能漏れを心配していて、祖国や原発から離れた地方に移ることを考えていた。日本在住歴が長ければ長いほど、「避難」願望は弱くなるような印象を受けたが、特にヨーロッパから来た人たちは、チェルノブイリの影響をもろに受けている人たちも多く、祖国の家族たちも相当心配しているようだった。「実は今こうして外で飲んでることも、祖国の家族には内緒なの」と言っていたイタリア人女性は、その週のうちにイタリアに帰国することが決まっていた。

心配や不安はあったが、お酒を飲んで陽気になり、「放射能で髪がオレンジ色になっちゃったらどうしよー」とか冗談交じりに笑い合ったりして、楽しい一時を過ごすことができた。その後タクシーで姉宅に戻り、もう1泊してから翌日埼玉の実家に戻った。

(続く)
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by dice_michigan | 2011-03-31 04:24 | ビザ・グリーンカード